昨日も触れた「かくて行動経済学は生まれり(文藝春秋)」の第7章は「人はストーリーを求める」となっている。
これは普段から僕も感じている。
例えば米ドルが円に対して上がったとする。その原因は色々あるはず。というか、沢山ありすぎて1つ1つの原因の貢献度はごく低くなる。つまり、明確な原因はない。皆の思惑の集大成が為替の動きだ。
にもかかわらず、人は1つのストーリーで説明しようとする。曰く、トランプ大統領が云々、ドラギ総裁が云々。あげくはその向こうに陰謀を感じとり、善悪の世界で犯人探しをしようとする。為替の動きに陰謀なんぞは存在しない(※)。単なる複雑系だ。
善悪は分かりやすいストーリーだし、複雑系は理解困難。でも世の中の大部分が複雑系でできている以上、ストーリーを求めても無駄だ。と、僕は思う。
結論:ストーリーは楽しむべし、本気にするべからず
※2015年1月15日のスイス国立銀行の無制限介入撤廃宣言は「陰謀」と言ってもいいかもしれません。私自身の被害はなかったけど、FXから足を洗うキッカケになりました。
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