先日、何かの雑談で学位の話になった。
博士号のことだ。
僕の経験では、指導してもらってとるものではない。
教官は「こっちにいけば何かあるんじゃないか」と言うだけ。
でもそこに至る道なんかない。
何もないところに道を切り拓いた証が学位だ。
もちろんスムーズに行くわけない。
あまりにも障害物が多くて切り開けない、もう駄目だ。
そう諦めかけた時に、ふと枝道に気づく。
「なんだかスムーズに行けるなあ」
そう思いながらどんどん進む。
教官の「そっちじゃない!」という声が後ろから聞こえる。
でももうとまらない、ひたすら進むのみ。
険しい山を登りきって、その頂上に1つ石を積む。
振り返ったら教官は下の方に霞んで見える。
大量の試行錯誤の末にモノになるのは1つだけ。
でも楽しかった。
もし不満があったとしたら、それは1つ。
頂上についた時に、
「自分に見えるものが何で他の人に見えないんだ!」
と思ったぐらいだ。
そうすると学位論文の位置づけというのは、
見えない人にも見えるよう説明するものかもしれない。
結論:道なきところに道を切り拓こう。それが学位だ。
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